第二次世界大戦後、国際関係は新たな緊張をはらみ、原爆に代表される技術が戦争の危険性を増大させていきました。
一方、商業主義、効率主義が弊害をもたらしつつあった米国にとって、ヒューマニストとして真に人間性溢れるゲーテの生き方が手本になるとして、ロバート・ハッチンス(シカゴ大学総長)、モーティマー・アドラー(シカゴ大学教授・哲学)らは「ゲーテ生誕200 年祭」を企画し、人間精神のあり方を問う出発点にしたいと考えました。
1949 年、米国コロラド州アスペンで開催された「ゲーテ生誕200 年祭」に、人道主義者・哲学者のアルバート・シュバイツアー博士、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットらと共に招かれたハッチンスは、「"対話の文明"を求めて」と題する講演を行いました。彼はそのなかで「われわれの時代の特徴のうち最も予期せざるものは、人の生き方においてあまねく瑣末化(trivialization)が行きわたっていることである」とし、「無教養な専門家による脅威こそ、われわれの文明にとっての最大の脅威」、「専門家というものは、専門的能力があるからといって無教養であったり、諸々の事柄に無知であったりしていいものだろうか」と問いかけ、“人格教育”の必要性と相互の理解・尊敬に基づく“対話の文明”を訴えて、聴衆に強い感銘を与えました。
ここで提議された、「専門化と細分化、職能主義、効率主義、短期利益主義などの飽くなき追求によって失われていく人間の基本的価値やコミュニケーション、あるいはコミュニティを再構築するにはどうすれば良いのか」という問題意識が、まさにアスペン・セミナーの原点となりました。